同潤会大塚女子アパートメントハウスが語る
昭和の初めにあって、音楽室、サンルーム、屋上庭園、応接室、共同浴場、洗濯場、売店、食堂など、豊かな共用施設が完備していた!その建物の生いたちから終焉まで、七十余年の歴史が、さまざまなことを私たちに語りかけてきた。貴重な証を未来につなげ、伝えたい。 本書より一文 大塚女子アパートにおける長い歴史は、都市型の住宅では、わずらわしいとして見過ごされてきた人と人との関係や出会いについて、共用空間のもつ様々な距離感が、いかに機能したかを伝えてくれる。 今日、住宅環境として重視されている四時間日照など性能平等の原則は、公共住宅より普及した。プライバシー重視の集合住宅のあり方は、民間の分譲マンションの代表的な価値観の一つである。大塚女子アパートは、そのいづれも合致しないが、緩やかな共同居住の場で多くの女性が育った。戦後、若くして母親と暮らした戸川昌子の小説「大きなる幻影」の発想の限定となり、駒尺善美の「友だち村」実現の原動力となったことは、空間構成に物語があり、また他で経験できない魅力があったことを示している。 目次 暮らした人々が語る 女性の社会進出とすまい 日本初と謳われた単身女子アパートメントハウス なぜ大塚女子アパートは解体されたのか 大塚女子アパートを未来につなげる 書評 北欧スウェーデンで広く認知されているコレクティブハウジング。子供や働く女性、高齢者など多様なライフスタイルに対応した集住形態のような位置づけが、昔の日本、同潤会大塚女子アパートメントハウスにあった。昔の建築家は「居住者の快適性や意見」よりも、日本の行く末を注視し、あるべき住宅の社会的な理想を掲げ、その理想に基づき建築を行っていた事に感動する。 当時、女性が単身で住む、という事に社会から違和感の目で見られていたことが伺い取れる。ただ、このアパートに住んでいた人たちは皆「緩やかにつながっている」事の安心を感じて快適だったようだ。この感覚がどこか新鮮。また、人付き合いの基本である「不要な干渉はしない程々の距離の取り方」を女史達はここで学んでいった。こういう人に過度に依存しない、精神的に独立した女性は、老後も幸せに暮らしているようだ。 最近注目を集めている「コーポラティブ住宅」を検討している人、興味がある人には参考になると思う。














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