フライブルクのまちづくり
「世界で最もエコな街」「21世紀型グリーンシティー」などとして賞賛されているドイツ・フライブルク市に住む著者が、さまざまな環境保護の取り組みを紹介している良書。なつかしい未来の街の姿が描かれています。 出版社/著者からの内容紹介 徹底した省エネと自然エネルギーの利用で、通常の住宅地に比べ、エネルギー消費を半減、二酸化炭素排出を7割削減。さらに画期的なマイカー抑制策で、自動車所有者が自転車所有者の10分の1という車のないまちを実現。環境先進国ドイツで最も野心的なサステイナブルコミュニティを住民主導で成功に導いた軌跡に迫る。 内容(「BOOK」データベースより) 徹底した省エネと自然エネルギーの利用でエネルギー消費とCO2排出を激減させ、画期的なマイカー抑制策で車のないまちを実現。数々の輝かしい取組みを住民主導で成功に導いた軌跡に迫る。 内容(「MARC」データベースより) 徹底した省エネと自然エネルギーの利用でエネルギー消費とCO2排出を激減させ、画期的なマイカー抑制策で車のないまちを実現させたドイツの住宅地ヴォーバン。数々の輝かしい取組みを住民主導で成功に導いた軌跡に迫る。 著者について 1971年、飛騨高山生まれ。岐阜工業高等専門学校で土木工学を学ぶ。卒業後、ゼネコンの現場監督として首都圏の人工埋立地を担当し、環境破壊の惨状に疑問を感じ、環境首都で有名なドイツ・フライブルク市へ留学。ドイツの環境行政を独学。現在は主夫と兼業で、翻訳・通訳、環境視察のコーディネート、NPO エコロジーオンラインのフライブルク通信員、各種新聞や雑誌に寄稿。著書に『カーシェアリングが地球を救う』(洋泉社、2004)、訳書に『エコロジーだけが経済を救う』(洋泉社、2003)。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 村上 敦 1971年、飛騨高山生まれ。岐阜工業高等専門学校で土木工学を学ぶ。卒業後、ゼネコンの現場監督として首都圏の人工埋立地を担当し、環境破壊の惨状に疑問を感じ、環境首都で有名なドイツ・フライブルク市へ留学。ドイツの環境行政を独学。現在は主夫と兼業で、翻訳・通訳、環境視察のコーディネート、NPO エコロジーオンラインのフライブルク通信員、各種新聞や雑誌に寄稿(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 抜粋 最近、日本から多くの方々が持続可能な都市計画やまちづくりの調査という名目でフライブルク市を訪れるようになってきた。以前は日本からフライブルク市への視察といえば、公費を使ってのゴミ問題一本やりだったから、自費で、あるいは苦心して獲得した研究費で、しかも目標が持続可能な社会を探るようになったことは大きな進歩ではないかと思う。なぜならフライブルク市は、なにもゴミ処理でドイツの環境首都になったのではなく、環境保護政策の全般が認められて、つまり新しい言葉を使うならば、「循環型で、持続可能な、将来性ある自治体」として、環境首都や数々の栄誉、名声を手に入れてきたのだから。 さて、そんなフライブルク市を訪れた視察者のお世話をしていると、夕食の席などで必ず現地在住の私に尋ねられることがある。「一口で言うと、どのようにすれば日本の自治体も持続可能になるとお思いですか?」、あるいは「何が持続可能な自治体に必要なポイントだと思いますか?」という難問である。この難問にまともに立ち向かうのであれば、一口で済む答えなど見つかるはずもない。したがって、酒の席だからという理由もあって、斜に構えこう答えるようにしている。「循環型で持続可能な自治体のための必要最低条件は、人口が減らず、増えないことです。つまり人口の年齢分布がほぼ一定でなければなりません。そして同時にその自治体で必要とする、あるいはそこで消費される資源、エネルギー、食料の量と同量が、その自治体で生産されていて、その資源は再生可能であることでしょう」当然そんな自治体が日本やドイツにあるはずがない。あまりにも私たちが生活している現実と今流行の「持続可能な開発」という目標には違いがあり、現代のいわゆるグローバル化している社会では、ある自治体が完結して自給自足を満たすことなど実現できる見通しすらない。したがって私は「持続可能な自治体、あるいは社会」とは何かを知らないことになる。もちろん本書でもそれを解き明かすことはできないし、本質的な意味で、石油文明に生きる我々一個人が持続可能な社会に向かってすぐにでも何かのアクションをとれるとは思わない。賢明な読者には、他の視点でこの本を手にとって欲しいと思う。 「持続可能な開発」という言葉の定義は、あらゆる場面や見方で異なり、いまだに定まった用語として定着していないと私は考えている。なんとなくよさそうだから、とにかく環境保護やまちづくり、気候温暖化対策の場面で使っておこうという域を出ていない言葉ではないか。したがって、本書では幼稚ではあるが、「魅力的」、あるいは「将来性ある」という言葉をキーワードに、まちづくりや社会基盤整備について探ってみる。魅力的なまちや将来性あるまちは、基本的な線では、循環型で持続可能なまちに向かっていると考えるからだ。 また本書は、私の経験や見識からまちづくりを述べる書ではなく、それに私にはたいした見識もない。ただ私の在住しているフライブルク市には、ヴォーバンと呼ばれる住宅地がある。最近、日本からフライブルク市を訪れた方のほとんどは、このヴォーバン住宅地に視察に行かれている。そこで私は、その住宅地で取り入れられている様々な「まちを魅力的にする手法」「将来性あるまちにするための決まりごと」を紹介しようと思う。本書を読まれた方が、こんなまちに住みたいというイメージを持ち、そしてその中の一部の人でも、自身の住むまちをそのイメージに向かって変えていこうと実際に動かれるのであれば、大変光栄である。 <注> 本書中では、往々にしてドイツと日本を対比した。ただし、人口と経済活動の一極集中の著しい日本の大都市と空洞化の激しい地方を、都市計画の場面において一口で日本と呼ぶことはできない。本書では、容積率が優に300%を超えるような、とりわけ小泉政権が「都市再生本部」で対象とした地区などを日本とはみなしていない。理由は、そのようなレベルの取り組みはドイツには存在しないからだ。人口20万人のフライブルク市で行われた都市計画、まちづくりは、日本の地方都市、あるいは都市周辺のベッドタウンとのみ対比可能であることを考慮していただければ幸いである。 フライブルク ドイツ南西部の最端に位置するフライブルク市は、フランスへ車で40分、スイスへ50分という国際的な小都市である。人口は21万人を少し上回る。さらに都市としての国際色を高めているのがフライブルク大学の存在だ。1457年創立という歴史ある大学には、11の学部が数えられ、市の人口の1割に当たる約 22,000人の学生を抱えている。学生総数の16%が外国人であることは、ヨーロッパでも有数の高等教育機関として存在していることを証明している。このまち最大の産業は、大学・研究産業である。 市の中心部には、中世の街並みが残され、ゴシック様式のすばらしい塔を伴った大聖堂が観光客を惹きつける。さらに市の背後にはシュヴァルツヴァルト、黒い森が控えている。黒い森散策の居心地の良い拠点としてのフライブルク市は、観光都市の顔も持ち合わせているのだ。目前に広がるライン川平野には、ブドウ畑が折り重なり、ワインの一大生産地となっている。この地域はドイツで最も日射量が多いため、ドイツワインでは珍しい高品質の赤ワインが産出される。 そんな都市に環境保護の兆しが見え始めたのは、学生運動、社会運動の時代、1968年からである。学生によるAPO(国会外・野党)運動は盛んになり、ベトナム戦争反対、権威との戦い、そして男女の同権や性の自由が叫ばれた。70年代に入るとこの動きは、一般的な反戦・反核運動へと、とりわけフライブルク市では原子力発電所への反対運動が盛んになる。こうして芽生えた原発反対運動は、各種の自然破壊の現状と重なり、環境保護運動へと共鳴してゆく。1972 年には、市街地中心部への車の乗り入れの禁止、自転車交通と路面電車の拡張が政策として取り入れられるようになったのも、まさにこの時代背景によるものと言えるだろう。 現在では、ソーラーエネルギー、公共交通・自転車交通政策、都市計画、緑の保護条例などをキーワードに、自他共に認める環境保護をリードする都市として、フライブルク市の名は世界的に知れ渡っている。 amazon.co.jpより抜粋 [1] [1] http://www.amazon.co.jp/gp/product/4761524197?ie=UTF8&tag=lohasingnet-22&linkCode=as2&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4761524197







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